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シアタープロダクツ/THEATRE PRODUCTS

シアタープロダクツは2001年、デザイナーの武内昭と中西妙佳に、プロデュース?プレスを担当する金森香が加わり「THEATRE PRODUCTS」を設立。常識にとらわれない独特の展開が、他分野からの注目を受けてスタートした。その後、展示会形式で2002年秋冬、2003年春夏コレクションを発表。2003年秋冬コレクションから、ファッションショー形式での発表を開始。レディース”シアタープロダクツ”を軸に、そのファッションデザイナーとしての実力が広く認められるに至る。2004年2月には、直営の渋谷店、そして六本木にショウルームをオープンさせ、ファンの層を広げている。モードを見据えた新世代デザイナーとして、期待が集まる。そして、2006年春夏より、「キングリーシアタープロダクツ」をメンズラインとして本格的にスタートすることとなる。さらに2006年3月には、直営店が渋谷パルコパート1に移転リニューアルし、シアタープロダクツならではのエンターテインニングなショップへの実験が新たに始まる。その他、コレクション以外の取り組みとしては、アートディレクター野田凪とのコラボレーションによるYUKIのプロモーションビデオの衣装(NYのADC賞受賞)や、野田英樹の戯曲によるひとり芝居の衣装(鶴田真由着用分)を担当。graf(大阪)でワークショップを開催するなどファッション業界のみならず、デザイン/美術業界でも幅広く活動。

2006-2007A/Wには、ユニクロと協業し「デザイナーズ・インビテーション・プロジェクト(Designers invitation project)」の第一弾アイテムを発表。

インタビュー記事

中西:わたしと武内はエスモードの先輩後輩という関係なんですが、武内の卒業制作のモデルをしたことが最初の出会いでした。話をしてみると、表現するものは違うけどカンカクは近いものを感じて、何かいつか面白いことをいっしょにできそうな気がしたのです。

武内:96、97年頃ですから、着物とか和柄が流行っていた頃です。それぞれ卒業後は会社に入って服づくりを学びました。僕はコム・デ・ギャルソン。1年後に卒業した中西はサンエーインターナショナル。

金森:その後、2人が最初に発表した展覧会に行ったのが私が知り合ったきっかけです。レナウンの跡地で開催された「今日自由展」というアートイベントです。当時、私はリトルモア・ギャラリーの企画を担当していたので、いろんな作品を探していたところだったんです。この展覧会はもともとは別の作品を観に行ってたんですが、偶然彼らに出会い、ものすごく感動した!
もちろん、いろんな作品を観て感動することはあるんですけど、彼等の作品を観たときには、感動もしたんですが、なにやら他人ごとという気がしなくて。この人たちが次につくるものは何だろう、っていうか、この次ぜったいになんかつくんなきゃいいけないし、その次につくるものは自分がいちばん観たいものだ!っていう理由のない確信がありました。じゃあ、そのために、自分ができることはなんなんだろう、ってそこから考えたのがきっかけで、今こうなっているという感じですね。

「洋服をつくり続ける劇団」の誕生

武内:もともと僕は特に洋服にものすごく興味があったというわけではありません。というよりも、どちらかというと興味がない方だったかもしれない(笑)。高校生の時に、洋服屋の販売員の方に友だちがいたりして、人並みに洋服に関心を持つようになりましたが、それでも学生の時は貧乏だったので、そんなにたくさん買えないし(笑)。でも、買えないなら自分でつくろう、という気持ちにはなったわけでもありませんね。
高校を卒業して、空間デザインとかプロダクトデザインのようなものをやりたくて上京しました。でも結果的になんとなく服をつくる学校に入ってしまったという感じですね、今振り返ると。でも、洋服をつくることが向いてるのかもな、って気づきはじめたころでもあったので、没頭できた楽しい学生生活でしたね。

中西:私はすごく小さい頃から服はすごく好きだったんですが、特に個性的なファッションをする子どもだったということはありません。洋服をつくろうって思ったというか、将来洋服をつくるだろうなあとなんとなく思ったのは小学校のころでした。うんと小さい時に、お気に入りの洋服があって、でもTシャツと短パン、みたいなしょぼいものなんですが(笑)。よく覚えていませんが、こだわりはいくつもあったような気がしますね。それを着ていることが、とにかく嬉しかった。そんな単純な心への作用がおもしろくて服をつくっているのかもしれないですね。
誰にでも小さい時に感動したことで今でもときどき思い出す瞬間ってあるじゃないですか。
そんなふうに心が動くようなことを、感じ取ることができる心身でありたいといつも思っていますが、その感動を表現して、人に伝える手段がわたしにとっては洋服だったようです。

武内:服を中心にして中西と意気投合したのが99年ごろ。洋服を空間的に、立体的に表現するパフォーマンス的なアプローチをやっていようと、2人で「カプセルリ」というユニットを結成し、たまたま知り合いから出展しないかと声をかけてもらい「今日自由展」に参加したんです。タイトルは「タンプトック展」。予想以上に評判が良く、各地を巡回展示することになりました。

金森:その後、シアタープロダクツの結成は瞬時の出来事でした。

武内:「カプセルリ」としては、ミュージシャンの衣装をつくる仕事が入ったり、蜷川幸雄さん演出の『三文オペラ』の衣装を手がけたりもしていたんですが、なんかふつふつと沸き上がる思い、表現欲求みたいのがあって。だけれど、次どうしていいのかわからなくて、いろんな人に相談していた時期で、どうしたらいいんだろう、って出会ったばかりの金森ともそういう話になった。

金森:なんだかいっしょになって、どうしたらいいんだろう、っていって考えてみていたんです。その後、いろんな偶然とかが重なって、これなら会社がつくれるし、つくっちゃった方がいいんじゃないか、みたいな感じであっという間に決まっていったんです。そうと決まったら、名前を決めなくちゃ!ってことに。

武内:「シアター」というのは使いたいよね、というのはみんな即一致。

金森:「シアター」という単語と別な単語をいろいろ組み合わせてみて、結局「プロダクツ」がしっくりきた、というわけです(笑)。

 

武内昭。1976年3月1日、長崎県長崎市に生まれる。エスモードジャポン卒業後、舞台衣装のデザインやインスタレーション、ライブアートの企画等の活動。その後、99年まで株式会社コムデギャルソンにパタンナーとして勤める。同年、洋服を空間的に、立体的に表現するパフォーマンス的なアプローチを試みようと、エスモードジャポンの後輩である中西妙桂と「カプセル・リ」を設立。その間、2001年に蜷川幸雄演出の「三文オペラ」の衣装やミュージシャンの衣装のデザイン等も行う。そして、中西と共に「今日自由展」というアートイベントで初めて展覧会を発表し、そこで金森香と知り合い意気投合。2001年10月、有限会社「シアタープロダクツ(THEATRE PRODUCTS)」を設立、座長に就任。同社のデザイナーを担当。

中西妙佳。1977年7月3日、神奈川県に生まれる。エスモードジャポン卒業後、株式会社サンエーインターナショナルに入社。k.a.t. やヴィヴィアンタム(VIVIENNE TAM)の企画や、コイガールマジック(CoiGirlMagic)の設立に携わる。99年、武内と共に「カプセル・リ」を設立。2001年10月、金森香が加わり、有限会社「シアタープロダクツ(THEATRE PRODUCTS)」を設立。同社のデザイナーを担当。
  
金森香。1974年11月4日、東京都に生まれる。高校を卒業後、セントマーチンズに留学。卒業後、移動映画館等のパフォーマンス作品を制作。帰国しチンドン屋「キンギョ」として約 1年活動。当時、ロンドンで出会った本田祐也を「キンギョ」の契約社員として誘う。その後、株式会社リトルモアに入社。同社が運営するリトルモア・ギャラリーの企画・現場管理等を手掛ける。2001年10月、有限会社「シアタープロダクツ(THEATRE PRODUCTS)」を設立。同社のプレス及びプロデューサーを担当。

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